魚が出てきた日

マイケル・カコヤニスのTHE DAY THE FISH CAME OUT(邦題『魚が出てきた日』)が現実になりつつある。ミキス・テオドラキスの奇妙な音楽にのって、チープな未来ダンスを踊っているのは僕たち自身なのかもしれない。キャンディス・バーゲンの有無をいわせない美貌も、足元が放射線で朽ちつつある状況を知っている観賞者にとっては、むしろ悲惨でしかない。文芸や映像など、物語で予感され続けてきた核の破綻のただ中に、いまこうしていると、単にそれを読んだり見たりしたりしているときとは異なる奇妙な感情がある。放射能は風の、海の、土の、草木の、小魚の、動物の、食物の、加工品の、髪の、皮膚の、血液の、精神の、心の、深奥にゆっくりとゆっくりと染みいっていく。今はまだこの感覚をうまく口にすることはできないけれど、この状況だからこその感情をしっかりと凝視めなくては。