2012-01-01から1年間の記事一覧

東谷くんのこと

東京国際フォーラムで開かれた第3回アートフェア東京(2008)の関連イベント「ダイアローグ in アート」のなかの「アジアの国際展、次の10年へ」は、僕にとって印象深い出来事だった。シンガポールビエンナーレの芸術監督や、光州ビエンナーレのコキュレー…

20km向こうに

渋谷に原発があって、もしもそこで事故が起きたら、その程度にもよるけど、どれくらいのエリアが立ち入り禁止になるのか? 今回のプロジェクトは、それを実感してみようというプロジェクト。 いろいろと、考えながら歩いている。アートにかかわることは、そ…

fbなどのおかげで

ブログとの距離を見失い中ですが、やっぱりちゃんとやっていきます memoがわりに、現在の懸案事項を書いておきます・次の本のアウトライン ・ここ20年の日本の現代アート ・子どものためのラジオ ・準備室の展開 ・水戸のトーク ・成績(!) ・作品のプロト…

明日から

manifestaとdocumentaに行ってきます。今回は、図らずも院生、学生など、総勢15名近い大所帯です。前回、アナウンスだけしたため、結構無謀なツアーで行った人がいるため、一部の学生には参加を呼びかけたのですが、それが裏目に出て、大所帯化、大学側から…

アーティストであることを強く望み、それに向かって真摯であることと、既存の枠組みに入ることは根本的に違うことだと思う。京都で行ったPicnicのkick off talkに対して、京都で活動している人がちょっとだけ顔を出し、ずいぶん乱暴な批判を書いていたけど、…

Why picnic ?

‘Picnic’ has somehow free and healthy impressions. Of course, sometimes it will stray to the direction of hedonism, but not of control and restriction. The picnic which held at the boundary of Austria and Hungary in 1989 is well known as t…

なぜピクニックなのか?

ピクニックという言葉には、どこか伸びやかで健やかな印象がある。もちろん、場合によってそれは、享楽的な方向に逸脱してしまうこともあるかもしれないが、けれどもそれは、決して統制や制限などという方向に向かってそうすることはない。1989年のハンガリ…

メモとして

ずっと気になっていた、ギリガンは、やっぱりとても重要だと思う。僕にとってそれは、エヴァ・キテイなどを経由して、スピヴァック、リンギスなどに繋がっていく。もちろんその先には、ブリオーや、批判対象としてのビショップ、ムフなんかも。あるいは、CCD…