事故

知人の無謀な出発の日に事故について書くのは、いやがらせではないはず。

事故や災害が起こったとき、画面に登場する専門家の不謹慎な笑みに違和感を覚える人は少なくないだろう。日ごろ地味な、自分の専門分野に光が差しいったためか、心なしか頬を紅潮させている。間接的に関係する、リスク・マネジメントなどの関係者も同じだ。もちろんそれは、単に個人的な配慮に欠けた態度でもあるのだけど、最も気になるのは、自分はそうした問題やリスクを常日頃警告していた、それに耳を傾けななかったことが問題だとでもいわんばかりの尊大な態度だ。事故や災害は、それそのものが、関係者に何らかの責任を発生させるはずだ。そうした意識が希薄なまま、何を語っても無駄だろう。

もちろん、こうした問題は自分たちに対しても差し向けてみる必要がある。たとえば、現代美術の分野にくすぶる種々の問題は、それそのものが、そこに関係するものたちすべての責任を浮上させなくてはならない。学生であっても、より深くかかわる人であっても。もちろん、自戒を込めて書いているのだけれども。

そろそろ予定時刻だ。知人は、計画どおり旅立てただろうか?ちっぽけなくだらない旅だけど、すべてが本人の責任で行われるのは気持ちいい。……はず、きっと。