なぜピクニックなのか?

ピクニックという言葉には、どこか伸びやかで健やかな印象がある。もちろん、場合によってそれは、享楽的な方向に逸脱してしまうこともあるかもしれないが、けれどもそれは、決して統制や制限などという方向に向かってそうすることはない。1989年のハンガリーオーストリア国境で催されたピクニックが、東西分断の終焉の契機になったということは広く知られている。力ではない柔らかい何ものかが、権力に対して作用し効果を上げることに成功したという事実は、忘れないようにするべきものだ。

僕たちが京都という町で始めたアートのためのピクニックも、そうしたものであることを望んでいる。ぼくたちは、町のそこここで、飲んだり食べたりしながら、ああでもないこうでもないとお喋りを続けた。僕たちには、1989年のピクニックのように、越えなくてはならない境界はなかったはずだが、見方を変えれば、常に越えなくてはならないものに取り囲まれていたと言うこともできるだろう。僕たちはアートの中で、統制や制限を感じ取っていたのだろうか? 僕たちのピクニックには、何か特別なルールがあるわけではないが、けれども漠然とひとつのことだけは心がけていた。それは、いま眼の前にあるシステムの中で上手に機能するために話をすることだけは決してしないようにしようということだった。当然、口をついて出てくる言葉が、酔っぱらいの無責任な愚痴のようなものに成り果ててしまうこともあった。けれどもそれは、それでも気高いピクニックなのだ。それは、どこかに向かって、何ものかを越えていくための、そのための言葉なのだ……。

僕たちのピクニックには、音楽がなかった。けれども、そのほとんどに参加してくれた、生まれて間もない小さな命が、決まって、どこであろうと構うことなく、雄叫びよろしくかわいい愚図り声をあげた。僕たちの言葉も、彼女の愚図り声のようなものにすぎなかったのかもしれない。いやだとすればこそ、その事実こそが、僕たちに力を与えてくれる。彼女はいつでも、何かに不満を抱き、それを改善すべく、何かを訴えていたのだから。

物事を行うことが困難であるという意味を表す際に、「ピクニックではない(no picnic)」という表現を用いることがあるという。今日のアートを巡る状況での振る舞いにも、この困難はつきまとっているだろう。でもだからこそ、ピクニックなのだ。ピクニックをすることは、決して困難なことではない。