僕たちは何を見てきたんだろう

僕たちは何を見てきたんだろう、僕たちは何をしてきたんだろう。ひょっとしたら危険な状態が生まれるかもしれないことは十分に想定できたのに、情報管理だけでなく、意志決定をどうするかさえ明確でなかったなんて。厳しい環境の中で作業しなければならないことは十分ありうるはずなのに、まともな防護服ひとつないなんて。放射性物質が飛散するケースも考えられうるはずなのに、避難地区決定に明確な指針がないなんて。食べものや飲みものの基準もそう。何でもこなせそうなロボット社会の到来を告げていたのに、陳腐なキャタピラー・ラジコンがそれを担っていただなんて。小難しい理論を口にして、社会問題に立ち向かっていたはずの知識人たちが、ただただあたふたするなんて。明らかに危険な場所なのに、子供たちをいったん避難させることさえできなかったなんて。山ほどある原子力関連法人のために働いてきた、研究者、デザイナ、イラストレータ、写真家、エディタ、ライター、サイエンス・コミュニケータ、文筆家などなどは、何をしてきたんだろう。本当に、僕たちは何をしてきたんだろう。嘆いているわけではない。してきたことを見つめて、それをあらためること。ヒロイックな身振りを示すことよりも、いまはそれが必要だと信じてそうする。