迷宮、カルブラトール、マヴォ

今回の震災の後、あるテクストを探している。うろ覚えの内容はおおよそ下記。関東大震災時(?)、多くの溺死者で埋め尽くされた隅田川を、橋の上からあまたの民衆が囃したてた。果たして関東大震災だったのか、江戸の大火のおりなのか、はたまた空襲時のことなのか、どうにも内容は心もとない。けれども、要は絶望的な状況でも、死さえも笑い飛ばしてしまうような、江戸っ子の心性について書かれたもので、記憶の中では、種村季弘の磊落な文章のどこかで見かけたような気がするのだけれども、一向に見つからない。種村氏の著作はほとんどあるのだが、どうひっくり返してみても見つからない。なぜ探しているかといえば、そうやって死さえも笑いのネタに変えてしまう、江戸っ子気質のたくましさと、けれどもだからこそ感じられる、深奥での哀しみについて、考えてみたいなと思ったのだけど、どうにもそこまで辿りつけない。迷宮を凝視めた氏なればこそ、著作全体を迷宮に仕上げたということもありえなくはない。

マレク技師は究極のエネルギー源、カルブラトールを手にした。カレル・チャペックがその様子を幻視してから20年後、物語は現実に姿を変える。1942年12月2日、原子炉が誕生する。マレク技師はレオ・シラードなのか。デーモン・コアと呼ばれるプルトニウムの塊を弄んでいた2人の科学者、ハリー・ダリアンとルイス・スローティンが相次いで命を落とすのはそれから数年後。咄嗟の判断でタングステンのブロックを手で払いのけ、臨界状態を壊したダリアンの右掌は9日後には醜く抉れ、25日後には命を落としている。やがてラテン語の「適切な」という意味を持つ爆弾に姿を変えて大気中で消滅したデーモン・コアは、本当に消滅したと言えるのか。僕たちに掌は、抉れ始めていないのか。

マヴォ関東大震災直後にバラック装飾を始めたことでよく知られている。けれども、僕たちは素直にそれに倣うことができない。あるいは、うろ覚えの記憶の中の江戸っ子たちのように、強がりつつ悲しみ、けれども前に進んでいくことも躊躇われる。それはおそらく、ダリアンが手に触れてしまったものを、いまだに掌中にしているという、どうしようもない薄気味悪い予感からなのだろう。慧眼のチャペックは、『絶対子工場』をハッピーエンドでしめくくっている。チャペックに見えていた光景は、本当にそうだったのだろうか。