高台を吹き抜ける風...

その街が大好きで、何度も通っているうちに、友達もできたし、いまでもちょっと時間に余裕があれば、すぐに出かけていきたいぐらい。初めてそこに行ったときも、もういろいろなことに圧し潰されていて、でも優しくその街に抱かれたような気がしたから、いまここにいれるような気もする。一番好きなのはその街にいくつもある丘の上で、日が傾いていくのをぼんやり眺めながら、ワインでも飲みながら、風に吹かれているときなんだけど、かつてその街も、いま僕たちが直面しているのと同じような災害に見舞われたことがある。今回の地震に匹敵するマグニチュード8.5とも9とも言われ、同じように津波に襲われ、最大ではその街、リスボンだけでも10万人近くが亡くなったとか。1755年、いまから200年以上前のそのことは、もちろんひとつの歴史としては知っていたけど、いまこうして同じような災害に直面して、初めてその街の、過去の傷の深さに触れることができるような気がする。
老境に差し掛かりつつあったフランソワ=マリー・アルエは、未曾有の災害を耳にする。そして、現実の世界の無慈悲さ、けれどもそこに生きていかなくてはならない過酷を、一篇の物語に結実させる。『カンディード』、著したのはヴォルテール。神の詭弁から抜け出すことができたのはよかったとしても、この啓蒙思想家のペシミズムと同じ精神に包まれてしまうことは避けなくてはならないような気がする。でもどうやって?答えはないけど、答えらしきものはないわけではない。傷つけられたその街は、けれども200年以上もの年月が流れたとはいえ、東洋から出かけていったひとりの人間の心を癒すことができた。おそらくそれは、ペシミズムに包まれたままではできなかったことだと思う。