!!

もうずいぶん前のことだけど、森美術館杉本博司展再び。ボクは正直、がっかりしながら足早に会場をめぐったのだけれども、なんだろうあの何の刺激もない感じというのは。表現というよりは、商品としての仕上がり、コンセプトの秀逸さが際立ちすぎて、上品な売り場に迷い込んだかのような感じ。あの展示のために費やされたエネルギーの方向自体に興味が持てないとでも言えばいいのかな。もともと、コンセプチャルな彼の作品の場合、繰り返しその空間を楽しむということは困難なのだろうけれども、作家自身の意識がフィニッシュの部分に向けられすぎていることがどうにも気になった。
仏像のシリーズは、骨董を商っていた彼の出自から考えれば自然なものといえるかも。こうしたものに対する反応は、東松照明のキャラクターPのシリーズに対するものにも通じている感じ。彼に対して特別な感情はないけれども、ああいうものに対して正直にノーということこそが大切だと思う。少なくとも、それまでの実績などに臆して、気持ちの悪い世辞を連ねるべきではない。誰もが苦笑しているものを、そのまま受け流して、彼らを裸の王様に祭り上げておくことの方が残酷だと思う。さらに言えば、森山大道でさえ、初期の60年代のカウンター・カルチャーのパクリの部分に見られる軽さこそが彼の本質で、それをことさら意味ありげに装飾するのもどうかと思う。おそらく、内心戸惑っているのは本人なのではないか。
いずれにしても、誰も彼もが感じていて、けれどもそれが言説になっていない状態は気持ち悪すぎ。
しかし、再び杉本に話を戻すと、彼の場合複雑なのは、あらためてカタログを見てみると、展示会場で感じたような退屈さはあまり感じられないのだ。繰り返しになるけど、会場のロケーションを含め、すべてのもののフィニッシュの精度が高すぎるために、むしろそこから始まらなくてはならないものを押しつぶしてしまっているという印象をぬぐえないことに戸惑ったのかも。もちろん、考えさせられるという意味では考えさせられたのだけど……。内覧会に溢れる、彼のテイストを配慮した来場者たちの黒くシックな服装が、妙に悲しげなものにみえた……、なんていう必要ないか。