イヴェントをやってみると……

いろいろなことがわかる。多くの人が参加してくれることは、まず無条件にうれしいのだが、その人たちの中でも、共有していることはきわめてわずかだ。例えば、相互にコミュニケーションすることを目的とした場所でも、自分がそこにいることだけに意味を見出して、他の参加しているものに触れようとしない人がいる。僕は、何か表現するということは、同じように、何か別の形で表現している、あるいは表現しようとしている人たちへの好奇心を持つことだと考えている。他人の表現にはまったく無関心で、自分の表現だけを見てくれという傲慢の中には、いろいろな問題が詰まっているような気がする。ただ、それでもそこに参加するということは、そうした路を模索しようとしているのかもしれない。こうした態度は、グループの場合も同じだ。ある一定の評価を得ているグループの人たちの、閉鎖的で、狭い考え方を念頭においている。そこに参加している人のひとりに声をかけたが、役人以上に頭の固い返事が返ってきた。それはどういう効果があって、どういう実績があるの。それを求める人たちがいることはしょうがないとしても、それはキミでなくてもよいのでは。そう言ってあげたかったが、いま言ってもわからないだろうなあと思ってあきらめた。同じように、名前が通り始めた一人のアーティスト。評価されて人が傲慢になることはよくあることだが、これほどわかりやすくそれを感じたことはなかった。僕が知ってるアーティストはビッグな人しかいない。これには、唖然とするしかなかった。いつの間にキミは、自分の中につまらないカテゴリーをつくってしまったんだ。得るものもあれば失うものもあるということなのか。けれども、果たして彼は何を得たんだ?