過去の怒り

ふと、小林秀雄が嫌いだったことを思い起こす

湯川秀樹との対談で
見事な腰の引けっぷり
実証性、再現可能性という後ろ盾ができただけで
それだけ腰が引けるのか

自然科学のような堅牢そうなものであるからこそ
脆弱な文学が抵抗できるものだと思っていた
と、当時、怒りに任せて進路を物理にしたんだっけ

でも、彼の言説、後生大事に繰り返している人は多いなあ
抵抗という姿勢で、別の傘下に入ろうとしてるのかな



デリダも死んだ
パリで、ここはヨーロッパの鼻先と発言
イベリア半島は、下顎肥大だとでもいうのか