先端

恐怖症のほうじゃなくて、地方にある美大のこと。ここの院試がまさにおこなわれているようなのだけど、誰もが口にするのは、トリエンナーレ・カワマタが抜けたあと、本当に先生がいないということ。元ダンボール作家や翻訳家、図書館学者、変わり映えしない写真論を繰り返す評論家と、学生の誰もが見抜いている底の浅さ。それでも、トリエンナーレがいるうちは、まだそういう振れ幅もありかなというように見えていたけど、いざぬけていると、本当にスカスカ感が出てきた。あえて行くことになかなか意味を見出しづらいと思う。なんか、哀しい。