ネットの可能性

ここにこうして書き残そうとしている以上、ネットの可能性を完全に否定するわけではない。けれども、ネットの可能性ばかりを主張する態度にはどこか違和感を覚える。そうしたもののひとつに、展覧会など意味がない、ネットで発表すれば十分というものがある。最近も関係した展覧会のアーティストからそれに類することを聞かされたが、問題を先送りするだけの無責任な態度に思えてならなかった。展覧会に対して過剰な期待を抱き、けれどもそれが十分に実現できなかったトラウマが、それに対する過剰なまでの敵対心を育むのかもしれない。そのため、その痕跡など微塵もないネットに逃避するのだ。この例で言えば、展覧会もネットもともに問題を抱えているのであり、ともに可能性を持っている。必要なのは、そのどちらかに関与したとき、そこで十全を尽くすことだけで、その至らなさを包み隠したまま、他方の可能性に耽溺することではない。