酷いテキスト

好ゲームの多かったEURO2004だが、開催直前に発行されたNumberの特集号に、気になる記事があった

冒頭のサイモン・クーパーという人の一文だ。『ナノ・フットボールの時代』など
鋭い切り口のテキストで、日本の凡庸なサッカー・ライターとは一線を画す彼だが
その内容は酷いものだった

実際には読んでもらえばわかるが、そこではポルトガルに対して辛らつな指摘がなされている
問題は、その多くがステレオ・タイプなイメージに立脚しているということだ。サラザール、ファド、フットボール、・・・

おそらく彼は、サイードなど読んだことはないのだろう。
フットボールなどスポーツのテキストこそ、サイードオリエンタリズムにみられるような配慮が必要だ
歴史上の事件や有名人、紋切り型の文化によって、現在を抑圧することがないような配慮が必要なのだ

フットボールのような世界的に行われているスポーツは、国民性を端的に物語ることができる要素になりうるかもしれない
相手に対して突っかけていくポルトガルのサッカーのように、
彼らはかつて何もないかもしれない大海に漕ぎ出したのであり、その逆ではない

酷いテキストだった